なぜ卒論のテーマを宗教にしなかったのだろうか。
悔やまれる。
(最近くやみすぎ。今までの大学生活で悔やむことがなさすぎた。)
学問として、宗教がとても楽しい。
今まで宗教に携わる教授なんて、頭おかしいと思っていた。
私の次元が完全に追いついていなかったのである。
宗教について研究することは、宗教を信じることではない。
むしろ信じるという行為から一番遠く離れた場所から宗教を眺めなければ、研究することができない。
(これはどの学問にも通じることかもしれないが)
宗教って「芯」なのだ。
キリスト教やイスラム教、仏教、ヒンドゥー教が、宗教というくくりにされているだけで、
心に「これだけは譲れないもの」を持っていることは
宗教を持つことと同意義と言えるだろう。
イスラム教は、法典を言い訳にして、戦争を起こすことや婦女暴行を正当化することがある。
これは私が「チャラチャラした人になりたくない」と思って
道端にゴミをポイ捨てできないと同じである。
自分の行いを正当化するための手段が、宗教と呼ばれる範囲内にある人とない人の差というだけ。
そういう意味で、
人の生き方、人生観を深く考えるきっかけになるとおもったのですよ。
宗教学が。
宗教を考えることは、人を考えることなのだ。
まあ、これまた文学でもなんでも一緒なんですけどね。
とにかく宗教にハマっているということです。
遠藤周作『深い河』絶賛読みふけり中です。